
1. はじめに:実験設計をAIで支援する時代へ
創薬研究では、1回の合成や活性評価に時間とコストがかかるため、限られた試行で最大の情報を得る「実験設計」の質が成果を左右します。条件パラメータが増えると全数探索は現実的ではなくなり、研究者の経験則だけでは多目的最適化の難しさに対応しきれません。こうした課題に応える枠組みが、適応的実験(Adaptive Experimentation)と、その中核を担うベイズ最適化(Bayesian Optimization)です。
本記事では、Meta(旧Facebook)が以前からオープンソースで開発してきた適応的実験プラットフォーム「Ax(アックス)」を、AI創薬にも応用可能な適応的実験・ブラックボックス最適化の支援基盤として整理します。Axは2025年11月にバージョン1.0が正式リリースされたことで、研究・開発現場で利用しやすい節目を迎えました。Axは、同じくMeta製のベイズ最適化ライブラリBoTorchを内部で利用し、実験の定義・実行・結果管理までを一気通貫で扱うための高レベルAPIを提供します。ファーマAIラボでこれまで紹介してきたBoTorch、Optuna、Nevergradの記事と合わせて、最適化エンジンの引き出しのひとつとして位置づけてください。
2. Axとは:適応的実験を産業レベルで運用するOSS
Axは、Adaptive Experimentation Platformの略で、Meta社内で長年運用されてきた実験管理ツールがオープンソース化された経緯を持ちます。Axは2019年にBoTorchとあわせて初めてオープンソースで公開され、以降も継続的に開発が続けられてきました。2025年11月18日のEngineering at Meta公式ブログでAx 1.0の正式リリースが発表されたことで、APIや運用機能が一段落した節目を迎えています。ライセンスはMITで、研究用途・商用利用の双方で自由に利用できます。リポジトリはGitHubのfacebook/Ax、公式ドキュメントはax.devで公開されています。
Axの設計思想は、「ベイズ最適化を中核にしながらも、現実の実験運用に耐える基盤を提供する」点にあります。具体的には、実験の進行状態を永続化するためのMySQLストレージ統合、複数試行を並行して走らせるオーケストレーション、A/Bテストと最適化を同じAPIで扱える統一インタフェース、新しいモデルやアルゴリズムをモジュラーに差し替えられる拡張性、などが備わっています。
1.0リリースと同時に公開された論文「Ax: A Platform for Adaptive Experimentation」(OpenReview)では、Optuna、Vizier、SyneTune、SMAC3、HEBOといった既存ライブラリと比較した性能評価が示されています。Axが対象とするのは、ハイパーパラメータ調整・物理実験設計・ハードウェア設計・GenAI構成探索など、評価コストの高い最適化問題全般です。
3. AxとBoTorchの関係:高レベルAPIと最適化エンジン
AxとBoTorchはいずれもMeta発のOSSですが、レイヤが異なります。BoTorchは、ガウス過程(GPyTorch)と獲得関数の実装を提供する低レベルのベイズ最適化ライブラリで、研究者がモデル構造や獲得関数をフルカスタマイズしたい場面に向いています。一方のAxは、BoTorchを最適化エンジンとして内部で呼び出しつつ、実験の定義・試行の管理・結果の解析までを一連のクライアントAPIで扱える高レベルラッパーです。
使い分けの目安は、「アルゴリズムを論文レベルで作り込みたいならBoTorch、運用面まで含めた実験プラットフォームとして使いたいならAx」と覚えておくとよいでしょう。Axの多目的最適化はBoTorchのqLogNoisyExpectedHypervolumeImprovement(qLogNEHVI)など、実績のある獲得関数をデフォルトで採用しているため、ベイズ最適化の理論を意識しなくても標準的な性能が得られる作りになっています。
4. ベイズ最適化の仕組み:探索と活用のバランス
Axが提供する適応的実験の中身は、ベイズ最適化のループです。ベイズ最適化は、評価コストの高いブラックボックス関数を、確率モデル(代理モデル)と獲得関数の2段構造で扱います。
- 代理モデル:観測済みデータをもとに、ガウス過程などで「次に試したい点の予測値と不確実性」を出力します
- 獲得関数:代理モデルの出力を入力として「次に評価すべき点のスコア」を算出します。期待改善量(Expected Improvement、EI)、改善確率(Probability of Improvement、PI)、信頼上限(Upper Confidence Bound、UCB)などが代表例です
- 更新ループ:新しい観測値で代理モデルを更新し、これを必要な試行回数だけ繰り返します
このサイクルにより、既知の有望領域を深掘りする「活用(Exploitation)」と、未知の領域を試す「探索(Exploration)」のバランスを、確率モデル上で明示的に扱うことができます。創薬の文脈では、合成可能数や評価サイクル時間の制約のもとで、できるだけ少ない試行で目的特性を満たす候補に近づくための設計言語として機能します。
5. AI創薬で直面する課題とAxの貢献
創薬研究で扱う最適化問題は、典型的に以下のような特徴を持ちます。
- 探索空間の広大さ:薬らしい性質を満たす化合物は、Lipinskiのルール・オブ・ファイブの範囲だけでも10^60オーダーと推定されています(Reymondらの試算)
- 開発の長期化とコスト:1剤を上市するまでに10年以上、研究開発投資は中央値で約9.85億ドル(約1,400億円相当、Wouters et al., JAMA 2020)に達するとする試算が知られています
- 多目的性:薬理活性、ADMET特性(吸収・分布・代謝・排泄・毒性)、合成容易性、製造性などを同時に満たす必要があります
- 試行回数の制約:合成・アッセイ可能な化合物数は実務上の上限を持ちます
Axはこれらに対し、限られた試行のなかで効率的に有望候補を絞り込むための「実験の進め方そのもの」を支援します。以下では、創薬研究で想定される代表的な活用シナリオを整理します。
5.1 反応条件・合成条件の最適化
触媒種・温度・濃度・反応時間といった条件パラメータの組み合わせを、収率や選択性を目的関数として最適化する用途です。化学反応の探索表現(DRFPなどの反応指紋)やクラスタリングによる初期化戦略と組み合わせれば、グリッドサーチや無作為探索より少ない試行で有望条件に到達できる事例が、化学・材料分野の研究で広く報告されています。
5.2 分子設計の多目的最適化
分子設計では、活性、溶解度、代謝安定性、hERG阻害(毒性リスク)などを同時に評価したいケースが多くあります。Axは多目的ベイズ最適化を標準サポートしており、Pareto前線(あるどれかの目的を改善するためには他の目的を犠牲にせざるを得ない最適解の集合)を押し広げる方向で候補を提案します。BoTorch実装のqLogNEHVIなどの獲得関数を、Axからは細かい設定なしで利用できる点が実務上のメリットです。なお、実際にどの程度Pareto前線を広げられるかは、探索空間の設計、初期データの分布、観測ノイズ、目的関数の選び方に強く依存するため、ベンチマーク結果をそのまま自分の問題に外挿することは避け、ベースライン手法との比較を都度行うのが安全です。
5.3 タンパク質・ペプチド設計とLab-in-the-Loop
AlphaFoldなどの構造予測モデルと組み合わせて、結合親和性に寄与しうる設計パラメータを最適化する用途も想定されます。ただし、AlphaFoldは主にタンパク質の単体構造予測を目的としたAIであり、リガンドとの結合様式や実測の結合親和性を直接保証するものではありません。Axで提案された候補は、ドッキングや自由エネルギー計算、最終的には実測アッセイでの検証を前提として扱う必要があります。後述するLab-in-the-Loop型の運用と相性がよく、AIモデルが生成した候補を実験で検証し、結果をAxに戻して次の候補選択に反映させる閉ループを組めます。
6. Axの最小コード例:実験ループを20行で組む
Ax 1.0のクライアントAPIを使った最小例を示します。実際のAPIは更新されるため、最新仕様は公式ドキュメント(ax.dev)で確認してください。
from ax.api.client import Client
from ax.api.configs import RangeParameterConfig
# Axクライアントの初期化
client = Client()
# 実験パラメータの設定(連続値2変数の例)
client.configure_experiment(
parameters=[
RangeParameterConfig(
name="concentration", bounds=(0.1, 10.0), parameter_type="float"
),
RangeParameterConfig(
name="temperature", bounds=(20.0, 80.0), parameter_type="float"
),
],
)
# 最適化目標の設定
client.configure_optimization(objective="yield")
# 反復的な実験実行
for _ in range(20):
for trial_index, parameters in client.get_next_trials(max_trials=1).items():
result = run_experiment(parameters) # 実験またはシミュレーション
client.complete_trial(
trial_index=trial_index, raw_data={"yield": result}
)
# 最適パラメータの取得
best_parameters = client.get_best_parameterization()
Ax 1.0からは、Clientクラスとconfigure_experiment/configure_optimizationといった命名がシンプルに整理され、初学者でも実験コードの骨格を短いコードで組めるようになりました。多目的化する場合はconfigure_optimizationに複数目的を渡すと、内部の獲得関数がqLogNEHVIに自動で切り替わります。ただし「目的を渡すだけで良い解が得られる」というわけではなく、目的関数の選び方・スケーリング、制約条件、観測ノイズの取り扱い、Pareto前線の評価指標といった設計判断が結果を左右します。創薬応用では、活性値・ADMET予測値・合成容易性スコアの数値スケールが大きく異なる場合が多いため、正規化や重みづけ、参照点(reference point)の設定を意識的に組み立てるのが実務的な勘所です。
7. Lab-in-the-LoopとSelf-Driving Labs:AIと実験の閉ループ
Axが想定する応用先のひとつが、Lab-in-the-Loop(LITL)型の研究運用です。LITLは、AIモデルが提案した条件や分子を実験装置で検証し、得られたデータをAIモデルに戻して継続的に予測精度を高める閉ループ運用を指します。NVIDIAは2026年1月12日、J.P. Morgan Healthcare Conferenceで生命科学向けプラットフォーム「BioNeMo」の拡張を発表し、Lab-in-the-Loop型ワークフローを支える開発基盤として位置づけています。
Self-Driving Labs(SDLs、自律実験室)は、その延長線上にある研究室の形態で、AIが実験計画から実行・解析・次条件の決定までを自律的に行います。Chemical Reviews 2024で公開されたレビュー「Self-Driving Laboratories for Chemistry and Materials Science」では、ベイズ最適化を含む能動学習(Active Learning)アルゴリズムがSDLsのコア意思決定エンジンとして位置づけられており、Axのような実験プラットフォームの活用シナリオが広がりつつあります。Novartisが構築した自律合成・評価システム「MicroCycle」など、製薬企業による実運用例も報告されています。
8. Axと他の最適化ツールの位置づけ
- BoTorch:ベイズ最適化のモデルと獲得関数を提供する低レベルライブラリ。研究レベルでアルゴリズムを作り込みたい場面で選択
- Optuna:ハイパーパラメータ最適化で広く使われているOSS。サンプラー方式が豊富で、機械学習モデル調整に強い
- Vizier(Google):本番運用向けに設計された最適化サービス。クラウド前提の運用と相性がよい
- Nevergrad:勾配を使わない最適化に特化したMeta製OSS。離散変数や非滑らかな目的関数に強い
- Ax:BoTorchを内蔵し、実験の定義・実行・解析まで一気通貫で扱える高レベル基盤。Lab-in-the-Loop運用や多目的最適化の導入コストが低い
創薬研究で「実験を回しながら最適化を進めたい」「Pareto前線で候補を比較したい」「実験管理をデータベースで永続化したい」というニーズが重なったら、Axは有力な候補のひとつになります。一方で、ベイズ最適化の理論的なカスタマイズや、最新の獲得関数を試したい段階ではBoTorchを直接使う選択も依然として有効です。
9. 利用にあたっての注意点
Axは強力な実験プラットフォームですが、AI創薬の実務で利用する際には次の点を意識しておくと安全です。
- 目的関数の設計が結果を左右する:報酬関数の重みづけが妥当でなければ、ベイズ最適化は「指標上は最適だが実務的には使えない解」に収束しがちです
- 初期データの偏りに注意:ガウス過程は初期点の分布に敏感で、空間が広い場合はSobol列やクラスタリングによる初期化が推奨されます
- 探索空間が高次元化すると性能が落ちる:50次元を超えるような探索では、SAASBOなど高次元向けの拡張モデルの検討が必要です
- AI予測は最終確証ではない:Axが提案する候補は、最終的に実験で検証する必要があります。医薬品の有効性・安全性の最終判断は、実測の生化学アッセイ、細胞アッセイ、動物実験、臨床試験を経た規制対応のプロセスに委ねられます
10. まとめ:Axが創薬に持ち込む「適応的」という発想
Axは、ベイズ最適化を中核に据えた適応的実験プラットフォームで、2025年11月のバージョン1.0正式リリースにより研究・開発現場で利用しやすい節目を迎えました。BoTorchを内部で活用しつつ、実験の定義・実行・管理までを一気通貫で扱える高レベルAPIを提供する点が特徴で、創薬では反応条件の最適化、分子設計の多目的最適化、Lab-in-the-Loop運用などへの応用が期待されます。
大切なのは、Axを「自動的に薬を見つけてくれる魔法のツール」ではなく、「研究者が立てた仮説と実験を、効率的に回すための骨格」として位置づけることです。報酬関数の設計、初期データの選び方、検証実験の組み立てといった研究者の判断こそが価値を生み、そこにAxが提供する適応的実験のフレームワークが組み合わさることで、限られたリソースから得られる知見の総量を引き上げることができます。
参考文献
- Engineering at Meta「Efficient Optimization With Ax, an Open Platform for Adaptive Experimentation」(2025年11月18日公開):
https://engineering.fb.com/2025/11/18/open-source/efficient-optimization-ax-open-platform-adaptive-experimentation/ - Ax公式ドキュメント:
https://ax.dev/ - Ax GitHubリポジトリ:
https://github.com/facebook/Ax - Balandat M. et al.「Ax: A Platform for Adaptive Experimentation」OpenReview:
https://openreview.net/forum?id=U1f6wHtG1g - BoTorch公式ドキュメント:
https://botorch.org/ - NVIDIA Newsroom「BioNeMo Platform Adopted by Life Sciences Leaders」(Lab-in-the-Loop関連):
https://nvidianews.nvidia.com/ - Tom G., Schmid S.P., Baird S.G., et al.「Self-Driving Laboratories for Chemistry and Materials Science」Chemical Reviews, 2024, 124, 9633–9732(DOI: 10.1021/acs.chemrev.4c00055)
- Abolhasani M., Kumacheva E.「The rise of self-driving labs in chemical and materials sciences」Nature Synthesis, 2023, 2, 483–492(DOI: 10.1038/s44160-022-00231-0)
- Reymond JL.「The Chemical Space Project」Acc. Chem. Res., 2015(GDB-17に基づく10^60推定の根拠)
- Wouters O.J., McKee M., Luyten J.「Estimated Research and Development Investment Needed to Bring a New Medicine to Market, 2009-2018」JAMA, 2020(DOI: 10.1001/jama.2020.1166)
※本記事の制作プロセスでは、ファーマAIラボ内のAI創薬関連記事(BoTorch入門、Optuna入門、Nevergrad入門、ADMET-AI完全ガイドなど)も内部リンク候補として参照しました。
免責事項
本記事は、Axプラットフォームに関する情報提供を目的として作成されたものです。記事の内容は、公開時点で入手可能な文献・公式ドキュメントに基づいていますが、技術の進歩や仕様変更により、情報が変更される場合があります。記事に記載されたソフトウェアの使用結果や、それに基づく研究成果について、筆者および本ブログは一切の責任を負わないものとします。実際の創薬研究や臨床応用にあたっては、必ず最新の文献・公式ドキュメントを確認し、専門家の助言を得てください。
本記事は生成AIを活用して作成しています。内容については十分に精査しておりますが、誤りが含まれる可能性があります。お気づきの点がございましたら、コメントにてご指摘いただけますと幸いです。
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